【読書#56】ホモ・デウス (下)-テクノロジーとサピエンスの未来

<読んだ本>

ホモ・デウス (下)-テクノロジーとサピエンスの未来

著 ユヴァル・ノア・ハラリ 出版社 河出書房新社

<筆者の言いたいこと(200文字以内)>

1.科学は一つの包括的な教義に収斂しつつある。生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。
→生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?

2.知能は意識から分離しつつある。
→知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?

3.意識を持たない高度な知能を備えたアルゴリズムが私たちが自分を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。

<今後に生かす(100文字以内)>

人類という種全体を単一のデータ処理システムと見る見方が衝撃だった。

より情報が自由に扱えるシステムが歴史的に見ると優ってきた。

それを突き詰めると、情報の自由は人間ではなく

情報それ自体に与えられるようになるかもしれない。

<その他 気になった言葉>

・一般の有権者は、民主主義のメカニズムはもう自分たちに権限を与えてくれないと感じ始めている。

・政府というカメはテクノロジーというウサギに追いつけない。

・今ではサイバースペースは私たちの日常生活や経済やセキュリティにとってきわめて重要だ。それなのに、いくつかのウェブ設計から一つを選ぶという重大な選択は、それが主権や国境、プライバシー、セキュリティのような従来の政治的な問題に関連しているにもかかわらず、民主的な政治プロセスを通して行われなかった。あなたはサイバースペースの形態について投票などしただろうか?

・データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それが非論理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。

・資本主義が共産主義を打ち負かしたのは、資本主義のほうが倫理的だったからでも、個人の自由が神聖だからでも、神が無信仰の共産主義者に腹を立てたからでもない。そうではなくて、資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。

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