<読んだ本>
八甲田山死の彷徨
著 新田次郎 出版社 新潮文庫
<筆者の言いたいこと(200字以内)>
人が動けば金がかかる。
その金がないから、なにかと言えば精神でおぎなえという。
精神だけで人は八甲田山の極寒に耐えられなかった。
この遭難事件は日露戦争を前提として考えねば解決しがたいものであった。
装備不良、指揮系統の混乱、未曾有の悪天候などの原因は
必ずしも真相をつくものではなかった。
日露戦争を前にして軍首脳部が考え出した、
寒冷地における人間実験がこの悲惨事を生み出した最大の原因だった。
<今後に生かす(100文字以内)>
雪中行軍が終わると、軍は案内人にお金を与えて
「案内人は最後尾につけ」と言う。
案内人は一言「もう用はねえってわけかね」と言った。
お金を払えば、その人がどうなろうと関係ないという態度は
人を酷使すると感じた。
<その他 印象に残った言葉>
・地図は万能ではありません、地図以上のものと言ったら人間です。
土地の案内人を有効に使ったほうがいいに決まっています。
・競争しろと、上から命令を出せば、やれ装備が不足だ、
予算がないと噛みつかれるから、聯隊自体の責任においてやれと言っているのです。つまり、師団も旅団も、なにかが起った場合、それは聯隊長が自主的にやったことであるという見解を取る積りでいるのです。
・将校たる者は、その人間が信用できるかどうか見極めるだけの能力がなければならない。弥兵衛も相馬村長も信用できる人物だと思ったからまかせたのだ。他人を信ずることのできない者は自分自身をも見失ってしまうものだ。
・だいたい山というものは優しい姿をした山ほど恐ろしいものだ
・気持ちは分かる。しかしそれはできないことだ。
そんなことをしていたら、今度はお前が倒れる。
お前が倒れれば、そのお前を助けようとして、また誰かが倒れねばならない。
きりがないのだ。気の毒だが、そのままにして置いて、
後で収容するほかはないだろう。
・遭難の最大の原因は履物にあったのだ。まず足が寒さに負け、そして次々と死んでいったのだ。
・うちのせがれが戦争へ行って死んだならあきらめがつくが、山の中で凍死したと聞いたのではなんとも我慢できない、紙切れ一枚で軍隊へ引張って行かれて、こういう殺され方をしたんじゃ黙っておられぬ
・いや第五聯隊は勝ったのだ。百九十人という尊い犠牲をだしてこの戦いに勝ったのだ。…こういう事件が起ったからこそ、軍は防寒に対して真剣に取り組もうと考えたのだ。これはたいへんなことだ。極端ないい方をすれば、五聯隊の遭難が日本陸軍の敗北を未然に防いだことになるのだ。
・彼は死ぬ直前に、
「おれは八甲田山の生き残りの勇士だぞ」
とたまたま居酒屋にいた若い男に言った。
「なんだい、八甲田山の生き残りっていうのは」
その若い男は、二十年も前のことは知らなかった。
彼がまだ生まれていないことのことだった。
・徳島大尉始め、雪中行軍に加わった第三十一聯隊の士卒の半数は、二年あとの日露戦争には、黒溝台の激戦で戦死または戦傷している。成功者も失敗者も、死の訪れには二年の遅速があったに過ぎなかった。それは、日露の戦いの準備行動で死んだか、戦いそのもの死んだかの違いに過ぎなかった。