【体験】武蔵塚に訪れてみて

熊本に引越して来て、

最寄り駅の名前が「武蔵塚」と書いてあり、宮本武蔵かな?

と思い調べるとその通りだったので訪れてみた。
駅から20分くらい歩いたところに武蔵塚公園があり

その中にお墓がある。(図.1,図.2)塀があり、ちょっと厳かな感じだった。

図.1 武蔵塚公園
図.2 宮本武蔵のお墓

宮本武蔵の銅像は袴姿であり、老人であった。(図.3)

図.3 宮本武蔵の銅像

映画や漫画からイメージする粗野な感じではなかった。

晩年 (武蔵57歳のとき) は肥後熊本藩に客分として

招かれていたためと思われる。
刀を二本持っているのは、映画や漫画のイメージ通りだった。


石碑の宮本武蔵の紹介文には「兵法者」と書かれている。(図.4)

図.4 宮本武蔵の紹介文

「剣豪」ではなく「兵法者」とすると個人として剣が強いだけでなく、

戦略・戦術ができ、人に教える能力がある人物という評価なのではと感じた。
「茶、禅、書画三昧の日々を送り文人としても

名高く水墨画など名品を残している」

と書かれていた。

五輪書を書くだけの文才の持ち主でもあったことも

うなづけるなと感じた。

<宮本武蔵は成功者なのか?>

徳川家康が平和な世の中を実現してしまったため、

本物の戦で宮本武蔵は活躍できなかった。

武人としては成功していないと感じる。

一方で大名に召し抱えられているので、

兵法者としては成功している。

また、五輪書を書き「名」が

後世まで残ることとなった。

<なぜ宮本武蔵は映画、漫画の題材になるのか?>

60回以上真剣勝負をして無敗と

武蔵自身が自己申告し、その書物が残っているからではないか。

「武蔵」を登場させる人たちは、

無敗の剣の達人は本当にそうだったか調べるはずだ。

この自己申告を裏付けるようなストーリーを

事実の断片と作り手の想像力で

ふくらましていくことが面白いのではないか。

<なぜ二刀流なのか?>

生きるか死ぬかの勝負の時、全ての武器を使い切るため。

(お侍さんは太刀と脇差の二本持っていた。)

→合理的だなと感じる。理屈はわかるが実行が難しい。

 二刀流をするためには両利きにならなくてはならない。

 野球で言えば大谷選手のようにバッターであり、

 ピッチャーであるようなものだ。

 並大抵ではないと感じる。

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