2010年3月11日 15時頃 東日本大震災が起こった。
私は大学構内のガレージで作業していた。
揺れが激しく、今まで体験した中で一番長い間揺れた地震だった。
しばらく船酔い状態で気持ち悪かったが、作業を続けた。
一段落し、部室に戻って見ると、電車が全て運休していることを知った。
関東の電車網はマヒしていた。
ケータイ電話で家にかけてみるが繋がらない。
関東圏の全員が一斉に電話をしたので、回線がパンクしたのだ。
何回電話しても繋がらないので、
家族はそれぞれ何とかするだろうと「てんでんこ」の頭に切り替えた。
2時間かけて電車通学していたので、どう考えても帰れない。
その日は部室で帰れないメンバーと共に一泊することにした。
大学周辺に下宿しているメンツから食い物の差し入れをもらい、
ガラケーのワンセグで地震の状況をチラチラ見ながら
部室で審査資料を作成をしていた。
大変なことになった思ったが、部室の中の雰囲気は明るかった。
翌日、鉄道各社は地震の被害を確認しつつ、
だまし、だまし電車を動かし始める。通常の3倍の時間をかけ、
ぎゅうぎゅうになりながら帰途についた。
これ以降、電車の本数が半分以下になり大学に行くのも、
帰るのも困難になる。来れない場合は自宅作業となる。
4月になり大学がスタート。
大学からのお達しで、活動時間が 朝6時から夜7時までに制限される。
3/11に帰宅難民になった誰かの親からのクレームでこう処置せざる
を得なかったらしい。あとは計画停電の影響か。
大学側へ事情を説明するも活動時間の延長は却下される。
4月末までにに完成させると、警備員の目を盗みながら各自製作を進める。
4月11日にエンジンを始動。
設計・製作した吸気、排気、燃料タンクが正常に機能し、
エンジンがかかること確認。
4月27日 18時頃 マシン完成。走る形まではもっていった。
歴代で最速の完成だった。