ユヴァル・ノア・ハラリ という歴史学者が
「ホモ・デウス」という本でヒトは神になりたがって
いると述べる。
このコンセプトは宮崎駿の「風の谷のナウシカ」と
同一なのではないか?
漫画版「ナウシカ」では腐海の成立ちが語られる。
腐海はヒトが住めなくなった地球の汚染を浄化する
装置で、ヒトが造ったものだ。
また、腐海から出る僅かな毒に耐えるように
ヒトをDNAから造りなおした。
ヒトが「ホモ・デウス」になり、
破滅した後の世界が「ナウシカ」だ。
「ナウシカ」の物語終盤で「墓所の主」という腐海を企画した
人口知能が出てくる。
これを造ったヒトたちは、自分の造った人口知能に負けたのだと思う。
ヒトと人口知能の主従関係が逆転し、ヒトが人口知能の奴隷になっている。
これはハラリの言う「データ至上主義」のなれの果てに見える。
宮崎駿はこの問題にどう答えたのか?
人口知能の神を破壊し、ヒトは苦しみ生き続けるという物語を
ナウシカに選択させる。
私はこの結末は無責任なのではないかと感じる。
ナウシカ1人に世界の秘密とヒトの存亡を背負わせてしまった。
自己犠牲を正当化してしまったように見える。
どんなにかっこ悪くても、
ナウシカをヒーローの座から普通へ
戻すべきだったのではないか。