「はとバス」六〇年 -昭和、平成の東京を走る
著者 中野晴行 出版社 祥伝社
<筆者の伝えたいこと>
「はとバス」には、いくつかのコースを参加すれば、
長く東京に暮らしている人よりも東京通になれる、魅力がある。
戦後の焼け野原から「日本は観光で立ち直れるのではないか?」
という仮説から「はとバス」はスタートした。
「はとバスらしさはバスガイドにある」
「単なる案内嬢ではない」として採用方法の見直し、教育方法の見直しを行って
「らしさ」を維持している。
<参考になりそうな箇所>
・ガイドの仕事で何が難しいのかというと、バスの運行は教本通りではないということだ。
渋滞で遅れることもあれば、交通規制などで別ルートを走行することもある。
天候の問題もある。いつも晴れ、というわけにはいかないのだ。
・このタイミングとこの角度で国会議事堂が見えるといちばんいいなという意識があります。
そのとおりのタイミングと角度でお客さまにお見せして、
それまでボーッとされていたお客様も全員そちらを向いてくださり、
そこに歯切れのよい案内がかみ合い、話し終わったとたん、
対象物がスーッと消えるのが理想です。
ところが研修の教本には、そういうことまでは書かれていません。
研修で覚えたことに、自分なりに何か別の情報をプラスアルファしたり、
あるいはマイナスしたりしながら、
タイミングを合わせないといけないわけです。
・私は東京のバスガール 発射オーライ 明るく明るく走るのよ
・ガイドはツアーというエンターティンメントに欠かせないパフォーマーなのだと思う。
大切な役者であり、歌い手でもある。
旅の気分を盛り上げてくれるのが彼女たちのパフォーマンスなのだ。
・行動半径を拡げる手伝いをしてくれるのが「はとバス」ではないか。
・世界の「バスガール」第一号は、第一次世界大戦後のヨーロッパ各地の戦跡を巡る女性ガイドだった。
このときにガイドを務めたのが戦争未亡人たちだった。
ガイドの仕事が、夫を亡くした女性たちが暮らしていくための収入源になったのである。
・観光産業は、オリンピックのインフラを活用しながら、オリンピックで増えた東京への観光客をいかに維持していくかに知恵を絞った。
・ガイドがいないためにバスの運行にも支障が出る状態で、社内には「バスガイドを廃止してはどうか」という声も出るようになっていた。
事実、他社では、観光バスの役割は目的地までお客様を運ぶことと割り切って、
ガイドを廃止するところもあった。
・正式採用されたガイドの中には、アルバイトでバスガイドの仕事の面白さを知って正式入社した、というガイドもいたのだ。
・テレビの中の東京こそが東京である、という風潮は、今日でもなお続いている。いやむしろ強くなっているのではないか。
・背景には、リストラの中でも「お客様第一主義」を忘れなかった運転手やガイド、整備スタッフの努力があった、という。
・それぞれの観客のニーズに合った場所に手軽に運んでくれて、必要な情報を与えてくれる定期観光バスの存在意義は一段と高まることだろう。