【読書#121】スピリチュアルズ「わたし」の謎

タイトル:スピリチュアルズ「わたし」の謎

著者:橘玲

出版社:幻冬舎

<筆者の言いたいこと>

人間の脳のOSには意識と無意識の二つがある。

無意識には下記8つのパラメータによりキャラが設定される

①明るいか、暗いか

②精神的に安定しているか、神経質か

③みんなといっしょにやっていけるか

④相手に共感できるか、あてにならないか

⑤信頼できるか、あてにならないか

⑥面白いか、つまらないか(経験への開放性)

⑦賢いか、そうでないか

⑧魅力的か、そうでないか(外見)

自尊心というのは「人生という物語」において

キャラと舞台がうまくあっていて、観客から高い評価を獲得するから高まる。

逆に低くなるのは、舞台で失敗して観客からブーイングを浴びたからだ。

<今後に活かすこと>

子どもへの影響が高い、家庭以外の環境(友だちなどの影響)

に注意する。

自分のパーソナリティを前提にして、

それがアドバンテージをもつ場所(ニッチ)を探す

<気になった言葉>

・生物にとってもっとも重要な原理は

「最小限のコストで目的を達成する」こと

・脳のもっとも重要な機能が、

 外見から相手の脅威を即座に判断すること

 なのは間違いない。

・過去を「反省」し、未来を「予測」するためには、

時間の経過にかかわらず同一の「主体」が必要になる

脳というシミュレーション・マシンが高度化することによって

「自己」が必然的に要請された。

このようにしてわたしたちは、過去から未来へ向かう

「物語」を生きることになったのだろう。

・幻覚剤が脳内の特定のネットワーク機能を低下させることが

 はじめて示された。

 それがデフォルトモード・ネットワーク(DMN)だ

・DMNの活動を示すデータが急落するときに

 自我が一時的に消え、ふだん私たちが認識している自己と世界

 主観と客観といった区別が消えてしまう

・抑うつというのは、過去のシミュレーションがネガティブな方向に極端に偏ることだ

 そうなるとDMNは

 「あのときはこうしていれば、こんあことにならなかったのに」

 という後悔ばかりをえんえんと反芻するようになる。

・幻覚剤が過剰なシミュレーションを抑制するのなら、

 自己は後景に退き、抑うつや不安は消えるだろう。

・集団によるプレッシャーを受けると、

 視覚の認識そのものが変化することを示している。

 アッシュの実験の被験者は、間違っていると知りながら

 仲間外れを恐れて誤答したのではなく、

 同調圧力によって視覚が変容し、

 線の長さが同じに見えたのでそのように答えただけだったのだ。

・日本人は、あいまいな状況に置かれると、

 無意識のうちにリスク回避的な選択を行う。

 だが状況が明確であれば(自由になんでもやってもいいのだとわかれば)

 アメリカ人と同様に自己主張をする。

 アメリカ人は逆に、あいまいな状況では自己主張を

 することがもっとも有利な選択だと考える。

 だが過度な自己主張が顰蹙を買うような場面では、

 ちゃんとその場の空気を読んで、自分を抑えることもできるのだ。

・クッキーの誘惑に抗おうとした努力のせいで、

 パズルに取り組むエネルギーが減ってしまったからだと考えた。

・奇妙なことに、知性と堅実性にはネガティブな関係があるらしい。

 知能が高いほど堅実性は低くなるというのだ。

 頭が切れるひとは前もって準備しなくてもうまくやれてしまうため

 わざわざ手間暇かけて訓練を積む必要がないと考えれば理解できるだろう。

・だとしたらなにが子どもの人生を決めるかというと、

 それは遺伝と非共有環境になる。

・徹底的に社会的な動物であるヒトは、

 自分を集団と一体化すると同時に、

 集団のなかで自分を目立たせるという

 きわめて複雑なゲームをしている。

・これは「高い知能+高い共感力」の組み合わせだ。

 「こころのIQ(EQ)」と名づけられたが、日本では

 「コミュ力」が広く使われている。

・子育ての努力はパーソナリティ形成にほとんど影響を与えない。

・心理学、社会学から政治学や経済学に至るまで、

 人文科学系の学問は脳科学や遺伝学、進化生物学、進化心理学、

 ゲーム理論などの自然科学に浸食され吸収されつつある。

 日本の「文系知識人」の多くはいまだにこのことに

 気づいていないようなので、あえて指摘しておく。

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