【読書#130】「やりがいのある仕事」という幻想

タイトル:「やるがいのある仕事」という幻想

著者:森博嗣

出版:朝日新書

<筆者が言いたいこと>

自分の時間と労力などを差し出して、その代わりに対価を得る行為が仕事だ。

対価というのは、だいたい金であるが、

名誉とか体裁とか立場とか、そういう幻想のようなものも含まれる。

それらを欲しがる人にとっては、すべて等しく「価値」なのである。

金も権力も、他者を動かすことができる。

権力というのは個人の力ではなく、

その組織におけるルール上の権限でしかない。

どうしても従えない場合、その組織から抜け出すことが可能だ。

<今後に活かすこと>

王族や貴族から一般階級のひとたちが

「のし上がった」時代に「金を稼ぐ者が偉い」

あるいは「強い」という観念が社会に広まったのである。

こういった経済的な成功者は、今でもほとんど健在で、

事実上社会を支配していると言える。

だから「人間は仕事で価値が決まる」という現実ができた。

大昔からあったというよりも、

むしろ最近できた考え方だと言える。

<気になった言葉>

・権力を握るのも、大きなお金を動かすのも、

 仕事上の立場、つまりルール上成り立つものであって、

 個人として特に偉いわけではない。

・この頃は、どんどん抜かれてじり貧になっている。

 でも今の若者の責任ではない。

 どちらかというと「やりがいを持て」「仕事にかけろ」

 と言ってきた年寄りたちの読みが甘くて、

 今の日本の不況、そして企業の低迷があるのではないか。

 つまり、やりがいとか、気持ちとか、

 そんな精神論で仕事を引っ張ろうとしたツケが、

 今まさに来ているともいえる。

 若者のせいにしてはいけない。

・同じ仕事の中にも、いろいろな作業がある。

 大きく分けると、自分で考えて工夫をするような作業と、

 人と会ってその人との合意を得るような作業である。

・仕事で発揮されるような能力の多くは、

 あくまでも外面的なものであって、

 内面的な性格はほとんで問題にならない。

 極端な話、「振り」ができるかどうかが大事な場面ばかりだ。

・既に流行っているもの、広く人気のあるものは、

 これからそこでビジネスをしてはいけないサインといえる。

 簡単な原則である。

 したがって、「最近よく宣伝を見るね」というものは、

 「売れていないのだな」と受け取ればまずまちがいない。

・マスコミが伝える情報は、ほとんどが宣伝である。

 宣伝というのは、事実ではない。

 売り主がこうあってほしいと考える「願い」を伝えて、

 客と呼ぼうとしているのだ。

・はっきり言って、仕事の目標とは無関係な周辺の環境に

 問題があって「仕事に集中できない」と悩むのである。

・けれども、ほとんどの問題は、

 実は「客観的なものの見方」の欠如から生じている。

・一言でいえば「楽しくてしかたがない、なんて仕事はない」だある。

 そんな仕事があると主張する人には、

 「では、給料はいらない?」ときいてみよう。

・基本的に、今の世の中は、自分が付き合いたくない人間とは

 つき合わなくて良い。

・本当に素晴らしい仕事というのは、

 最初からコンスタントに作業を進め、

 余裕を持って終わる、そういう「手ごたえのない」

 手順で完成させられるものである。

・やりたいことや、好きなことで選ぶよりも、

 自分が向いている仕事を選択する方が合理的だということだ。

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