タイトル:「やるがいのある仕事」という幻想
著者:森博嗣
出版:朝日新書
<筆者が言いたいこと>
自分の時間と労力などを差し出して、その代わりに対価を得る行為が仕事だ。
対価というのは、だいたい金であるが、
名誉とか体裁とか立場とか、そういう幻想のようなものも含まれる。
それらを欲しがる人にとっては、すべて等しく「価値」なのである。
金も権力も、他者を動かすことができる。
権力というのは個人の力ではなく、
その組織におけるルール上の権限でしかない。
どうしても従えない場合、その組織から抜け出すことが可能だ。
<今後に活かすこと>
王族や貴族から一般階級のひとたちが
「のし上がった」時代に「金を稼ぐ者が偉い」
あるいは「強い」という観念が社会に広まったのである。
こういった経済的な成功者は、今でもほとんど健在で、
事実上社会を支配していると言える。
だから「人間は仕事で価値が決まる」という現実ができた。
大昔からあったというよりも、
むしろ最近できた考え方だと言える。
<気になった言葉>
・権力を握るのも、大きなお金を動かすのも、
仕事上の立場、つまりルール上成り立つものであって、
個人として特に偉いわけではない。
・この頃は、どんどん抜かれてじり貧になっている。
でも今の若者の責任ではない。
どちらかというと「やりがいを持て」「仕事にかけろ」
と言ってきた年寄りたちの読みが甘くて、
今の日本の不況、そして企業の低迷があるのではないか。
つまり、やりがいとか、気持ちとか、
そんな精神論で仕事を引っ張ろうとしたツケが、
今まさに来ているともいえる。
若者のせいにしてはいけない。
・同じ仕事の中にも、いろいろな作業がある。
大きく分けると、自分で考えて工夫をするような作業と、
人と会ってその人との合意を得るような作業である。
・仕事で発揮されるような能力の多くは、
あくまでも外面的なものであって、
内面的な性格はほとんで問題にならない。
極端な話、「振り」ができるかどうかが大事な場面ばかりだ。
・既に流行っているもの、広く人気のあるものは、
これからそこでビジネスをしてはいけないサインといえる。
簡単な原則である。
したがって、「最近よく宣伝を見るね」というものは、
「売れていないのだな」と受け取ればまずまちがいない。
・マスコミが伝える情報は、ほとんどが宣伝である。
宣伝というのは、事実ではない。
売り主がこうあってほしいと考える「願い」を伝えて、
客と呼ぼうとしているのだ。
・はっきり言って、仕事の目標とは無関係な周辺の環境に
問題があって「仕事に集中できない」と悩むのである。
・けれども、ほとんどの問題は、
実は「客観的なものの見方」の欠如から生じている。
・一言でいえば「楽しくてしかたがない、なんて仕事はない」だある。
そんな仕事があると主張する人には、
「では、給料はいらない?」ときいてみよう。
・基本的に、今の世の中は、自分が付き合いたくない人間とは
つき合わなくて良い。
・本当に素晴らしい仕事というのは、
最初からコンスタントに作業を進め、
余裕を持って終わる、そういう「手ごたえのない」
手順で完成させられるものである。
・やりたいことや、好きなことで選ぶよりも、
自分が向いている仕事を選択する方が合理的だということだ。