<読んだ本>
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義
著 シェリー・ケーガン 訳者 柴田裕之 出版社 文響社
<筆者の言いたいこと(200文字以内)>
なぜ死は悪いのか?死んでしまったら、存在しなくなるからだ。
存在しないのは悪いとなぜ言えるのかと問えば、
答えは、人生における良いことの数々が味わえなくなるからだ。
もし自分が存在しなければ、生きて存在してさえいれば得られるものが得られなくなる。
目指す価値のあることがどれほど多くあり、
それらを達成すすことがどれほど複雑で困難でありうるかということと比べて、私たちは短い時間しか生きないという事実が重要だ。
<今後に生かす(100文字以内)>
「死」は悪いと論理的に説明することは、難しいことがわかった。
当たり前と考えていることに「なぜ」と問うことが重要と感じた。
長生きは良いことなのに、永遠の命となると、生き地獄になってしまうのが面白いと感じた。
<その他 気になった言葉>
私たちはみな独りで死ぬと、人はよく言うけれど、
その主張はただの戯言だと思う。
人は自分が何を言おうとしているのか、わずかでも考えることなく
そう言っているのではないだろうか。
ようするに、九〇年の人生は悪くない。
五〇年の人生は、それより悪い。
一〇年の人生はさらに悪い。一年の人生はなおさら悪い。
一カ月の人生はいっそう悪い。1日の人生はなおいっそう悪い。
一分の人生はもっと悪い。一秒の人生はもっともっと悪い。
最後に私は、その人がこの世にまったく生じないようにする。
ああ、それならばかまわない。
えっ?なぜそれは、かまわないのか?
だが、緩やかな存在要件を受け入れるとそうなる。
けっきょく最善なのは、自分が望むだけ生きられることではないかと思う。
快感はなぜ得る価値があるのか?
ここで答えの質が変わる。この時点で、
私たちは次のようなことを言う。快感はそれ自体に価値があるからだ、と。
他のものは手段としてだけ価値があった。突き詰めれば、
それは快感に至るための手段だったのだ。
だが、快感はそれ自体に手に入れる価値がある。
手段として有益なものは、間接的に価値がある。
一方、それ自体に価値があるものは、
哲学では本質的に価値があると言う。