<読んだ本>
昭和の怪物 七つの謎
著:保阪 正康 出版社:講談社現代新書
<筆者の言いたいこと(200文字以内)>
歴史は日々着実に動いている。
日常の日々の中ではその動いていることはわからないが、
一定の時間を経てみるとその本質が見えてくる。
どういうことであれ、
感情と評価はきちんと分けて考えること。
戦争を指導した軍官僚たちは以下の特徴があった。
「都合の悪いことは決して口にしない」
「ある事実を語ることで「全体的」と理解させる」
「相手の知識量、情報量に合わせて自説を語る」
<今後に生かす(100文字以内)>
五・一五事件の犬養毅は「話せばわかる」とは言っていなかった。
「話を聞こう」と言っていた。
教科書の歴史は必ずしも本質を捉えていないと感じた。
鵜呑みにするのではなく
時代背景を理解する必要性があると感じた。
<その他 気になった言葉>
・「あなたは東條英機と対立していたのではなかったか」
「対立したというということはない。
日本人にもそのような愚問を発する者がいるが、東條には思想も意見もない。
私には若干の意見も持っていた。
意見のない者との間に対立があるわけはない」
・「今、保阪さんは祖父のことを称揚気味に語っていただきました。
それは遺族としてはありがたいのですが、
しかし犬養毅という政治家も多くの矛盾を背負った政治家だったのです。
そこのところを語らなければ、毅像というのは正確には理解できません。
祖父に同情していただくお気持ちはわかりますが、
歴史上の政治家としての評価は別です。
こういう席だといって何も遠慮しなくていいのです。
感情は感情、評価はまた別と考えて臆することなく語ってください」
・「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう…ついて来い」
「まあ、靴でも脱げや、話を聞こう…」
私は、現場にいてこのやりとりを見た道子氏の母の証言を全面的に信用する。
「話せばわかる」とは言っていない。
「話を聞こう」と言ったのが真実とするならば、
なぜ話せばわかるといった語でこの光景が語られることになったのか。
戦後民主主義を例示するかのようにすりかえられたのだろうか。
「話せばわかる」と「話を聞こう」の間にある無限の開き。
私は道子氏の証言や記述の中には、この開きについての絶望感を覚えるのだ。