【読書#83】私の個人主義

<読んだ本>

私の個人主義

著:夏目漱石、出版社:講談社学芸文庫

<筆者の言いたいこと(200文字以内)>

職業というものは要するに人のためにするものだ。
人のためにする結果が己のためになるのだから、
元はどうしても他人本位である。
既に他人本位であるからには種類の選択分量の
多少すべて他を目安にして働かなければならない。

文学とはどんなものであるか、
その概念を根本的に自力で作り上げる外に、
私を救う途はないのだと悟ったのです。

自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと
同時にその自由を他にも与えなければならない。

<今後に生かす(100文字以内)>

仕事の内容が専門分化していくことで、
個人はより不完全になっていくという指摘があった。
自分の専門を持ちつつ、
分野の違うことにも嫌がらず取り組みたい。
傍観者ではなく、自分がその場に立ったらどうかと考える。

<その他 気になった言葉>

・己のためにする仕事の分量は

人のためにする仕事の分量と同じである

という方程式が立つのであります。

・人のためにというのは、人の言うがままにとか、

欲するがままにといういわゆる卑俗な意味で、

もっと手短に述べれば

人の御機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。

・あなた方は博士というと諸事万端

人間一切天地宇宙の事を皆知っているように

思うかもしれないが全くその反対で、

実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが

博士になるのです。

・活力節約の方からいえば出来るだけ労働を

少なくして僅かな時間に多くの働きをしようと工夫する。

その工夫が積り積もって汽車汽船は勿論電信電話自動車

大変なものになるますが、

元を糺せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。

・だからして中味を持っているもの

すなわち実生活の経験を嘗めているものは

その実生活がいかなる形式になるか能く考える

暇させないかもしれないけれども、

内容だけは慥かに体得しているし、

また外形を纏める人は、誠に綺麗に手際よく

纏めるかも知れぬけれども、どこかに手落ちがありがちである。

・私のここに他人本位というにのは、

自分の酒を人に飲んで貰って、

後からその品評を聴いて、

それを理が非でもそうだとしてしまう

いわゆる人真似を指すのです。

・しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、

その先生は無論授業をする資格のない人です。

叱る代りには骨を折って教えてくれるに極っています。

叱る権利をもつ先生は

すなわち教える義務をも有っているはずなのですから。

・個人主義は人を目標として向背を決する前に、

まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、

ある場合にはたった一人ぼっちになって、

淋しい心持がするのです。

・国家的道徳というものは個人的な道徳に比べると、

ずっと段の低いもののように見える事です。

元来国と国とは辞令はいくら八釜しくっても、

道義心はそんなにありゃしません。

詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、

無茶苦茶なものであります。

だから国家を標準とする以上、国家を一団と

見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて

平気でいなければならないのに、

個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって

来るのですから考えなければなりません。

・権力とは先刻お話した自分の個性を

他人の頭の上に無理矢理に圧し付ける道具なのです。

道具だと断然いい切ってわるければ、

そんな道具に使い得る利器なのです。

・漱石が日本の近代化が「内発的」ではなくて、

「外発的」であると論断したことは、

今まで先学の人が軽視してきた点を明白にした点で

第一の功績であり、この論文を有名にした第一の点である。

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