タイトル:超AI入門 ディープラーニングはどこまで進化するのか
編著者:松尾 豊
出版:NHK出版
<編著者の言いたいこと(200文字以内)>
学習とは「分ける」ことだ。
ある事象について判断する。それが何かを認識する。
「分ける」ことができれば、それをもとに行動することができる。
言葉を使っているときに、人間は、実は情報を落としている。
情報を落として、抽象化して要約して、その代わり保存性を良くしている。
脳とAIの関係は、鳥と飛行機の関係に似ている。
鳥を真似て飛行機を作り始めたが、
鳥が空を飛ぶ仕組みを抽象化していった結果、別のものになった。
<今後に活かす(100文字以内)>
運動神経の良い人は、自分の体をどうコントロールするかについて、
多くの「サブ問題」を作って挑戦することで、仮説を減らしているという話があった。仕事においても「サブ問題」を作るを応用してみる。
<その他_気になった言葉>
・情報を落とす能力―細かいことを忘れ抽象化する能力―自体が、人間の脳にとって本質的な意味を持ちます。
・”良い学習”のためには、丸暗記ではなく、うまく抽象化して、
ポイントをつかんで、そのポイントと答えの関係を
学んでいかないといけません。
これを「汎化」と言います。
・「過去の自分といまの自分は二人いない」
という仮定に基づいたほうが社会は成り立ちやすい。
他者から見たとき、「心」は首尾一貫して予想可能であるほうがいいわけです。
・しかし、感情や本能が、自己保存という生命の目的に由来
するものだと考えると、そもそも生命ではないAIが
本質的な意味での感情を持つことはないはずです。
・これは推測ですが、運動神経が良い人は、
スポーツをする際に、たとえば、自分の体をどうコントロール
するかについて、無意識にたくさんの「サブ問題」を
作って挑戦することで、仮説を減らしているのではないでしょうか。
初めての競技であっても、仮説を減らして可能性を限定することで、
少ないサンプルの中から自分に合ったものを見つければいい、
ということです。
・「人間の知能は”二階建て”である」という仮説に沿えば、
”二階”が”一階”を呼び出すことこそが意味理解であり、
”二階”と”一階”のインタラクションが思考である、
と私は考えています。
・「考える」は「感じる」に支えられている