【読書#103】モーツァルトは「アマデウス」ではない

タイトル:モーツァルトは「アマデウス」ではない

著者:石井 宏

出版社:集英社新書

<筆者の言いたいこと(200文字以内)>

モーツァルトは「アマデウス」と署名したことがない。
イタリアでの成功時にあだ名された
「アマデーオ」と署名していた。
終生、彼はこの名前を誇りに思っていた。

故郷ザルツブルグとも、ウィーンとも折り合いが悪かった
モーツァルトは、ドイツ語で「アマデウス」
と名乗る理由が無かった。

「ドイツは世界一」を実現したい後世のドイツ人が
勝手に「アマデーオ」を「アマデウス」と
ドイツ人らしい名前に改ざんしてしまった。

<今後に活かす(100文字以内)>

疑問に思ったことは自身で深く調べる。
当時の状況と今では状況が異なるのではないか?
などを想像する。
モーツァルトで言えば、彼が活躍したとされる地の
現在に実際に行くなどの体験をするようにする。

<その他、気になった言葉>

・彼らがアマデを勝手に廃止してアマデーウスを使い始めたのは、

アマデがモーツァルトの私的な造語であって、

正規のドイツ語ではないからみっともない

わがドイツの天才にはふさわしくない

という常識的な理由であることは容易に想像できる。

だがモーツァルトはそういう常識とは縁がなかった。

天才を常識で斬ろうとするのは誤りのもとである。

・モーツァルトが死んだとき、彼をしのぶ追悼の集いやコンサートは、

ウィーン、プラハ、カッセル、ベルリンなどで行われているがザルツブルグでは

行われていない

・神に愛され才能を贈られたのが常識的に見れば奇妙キテレツ、

世にもおかしな男であり、それを見ればすべての善行と努力は

ムダで空しいものに思えてくる

それは善行を推奨するはずの神が善人に下した裏切り行為であり、

そこにあるのは、すべての積善は、神の気まぐれの前には

三文の値打ちもないという絶望の世界となる。

・まず彼女は夫の死後直ちに皇帝に直訴して未亡人年金を確保すると、

夫の遺稿を整理してこれを出版社に売りつけ、

自ら巡業劇団を組織して夫のオペラを上演しながら各地をめぐり、

時には自ら歌手として舞台に立ち、

夫の名声に貢献すると同時に実益を挙げ、

家を下宿にして稼ぎ、それやこれや、

彼女の働きによって、夫が遺した3000グルテンの

借金を瞬くまに返済してしまい、

4年目には金貸しを始めるようになった。

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